ヤウシュベツ川に掛かる万年橋を渡るとエゾシカの群れも川を渡っていた。ただ1頭の若いオスが氷が割れてしまい半身が落ちてしまっている。群れは彼を一身に見守り、やがて若いオスが何とか這い上がると開けた湿原を駆け抜けて行った。
どれほど怖かったか、不安だったかは計り知れないが、生きることは死に物狂いだ。
自然界は結果が全てなのか。
どれだけ必死にもがいても、楽に食事にありつけても、生死は結果なのだなと思った。自然に抗わず術を身に付け適応するし、それでいて大体は棲み分けができているのはお見事だ。
人間界はこれまた複雑に長けているわりに多様性は時々に受け入れ難く排除されることが割と少なくない。多様性は進化の入り口になり得るのに色々と都合があって放っておくと後々に面倒になるのだろう。かといって人間界を否定的に見ているわけではない。なるべく争いを避ける手段としての思考とも思うし、自然界の強いものが生き残る「弱肉強食」のようになってはままならない。人間と動物は、力勝負ではおおよそ敵わないが、頭を使えば形勢逆転を期待できる。反面、弱肉強食に近い雰囲気があるとすればお金だとか仕事だとかはその様相を呈している。何だか愚痴ぽくなってきたな。
とりわけここ別海町には豊かで深い自然が広がっている。眺めるだけでも良いけど、森の中や川縁に座って自然に溶け込んでいると無心になれる。そうするとシンプルな思考になり余計なことを振り分けられる。自然に溶け込むとは一体どんなことかと考えてみると、自然の中で異質にならないことだと思う。森の音や川の流れの音、小鳥の囀りの中に包まれているといつの間にか自然の一部になれた感がある。自然の中では何者でもなくなり、一種の生物になるという感覚だ。
一昨日は川縁に座り少しの間鳥を待っている時だった。後ろの方でカサカサと音がしていてゆっくり振り向くとミンクが手の届きそうなところでこちらを見ていた。しばらく見つめ合うとまたぴょこぴょこと歩いて川へ降りて行った。お目当ての鳥はやって来なかったけど、ほんの少し優しい気持ちになる。
時にカサカサに乾いてしまった気分になったりした時はぜひ自然に馴染んでみてほしい。もしかしたら優しい気持ちに触れることができるかも知れないから。
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